あなたはフェミニストですか?と問われたら

「あなたはフェミニストですか?」
という質問の答えは、
「当たり前じゃないですか。差別主義者なんかじゃないですよ」でいいんじゃないかと、最近思うのです。

フェミニストじゃなかったら何なんだ

「フェミニスト」という言葉はもはや、「人権派」のような言葉に思えてきました。

「人権派」って、人権派じゃなかったら何なんだ、人権侵害派なのか?という感じですよね。
すべての人に平等な人権があるということは民主主義の基本であって、民主主義国家であるはずの日本で「人権派」なんて言葉で何かを特別な属性のように括ることは、おかしなことだと思います。しかし、こういう言葉を、意味が曖昧なまま、あまつさえ否定的なニュアンス使う人たちはいます。

同じように「フェミニスト」も、フェミニストじゃなかったら何なんだ、差別主義者なのか?と思うのです。

フェミニストを名乗るハードル

近年、性差別がまだまだ社会に根強いこと、フェミニズムが今の社会に必要なことを実感する人は増えてきているように映ります。
しかし、フェミニズムに共感する人でも、自らを「フェミニスト」と名乗ることにはハードルを感じることが多いようです。

たとえば元アンジュルムのリーダーで、社会における女性の立場についての知性ある発言が話題になることも多い、アイドル・和田彩花さんのインタビュー。

“ひとりになって、女性のあり方について発言する機会が増えたときに、「じゃあ私はフェミニストなのか?」と考えたんですよ。でも、素直に「はい」とは言えなくて。フェミニスト的な視点を持って女性のあり方を考えているし、フェミニズムやジェンダーという言葉を知ったからこそ、いろんな言葉を持って発信できるようになったけれど、まだ自分がフェミニストであるかどうかについては疑問もあるんです。”

和田彩花は女でありアイドルだ。アイドルとして女性のあり方を問う覚悟

私もこの気持ちがよくわかります。

私自身もわりと最近まで、自分が「フェミニスト」と名乗っていいのかわかりませんでした。
フェミニズムに共感しているにも関わらず、自分の知識に自信がないために、自分がフェミニストを名乗ったら、「もっとちゃんとしたフェミニスト」の人たちに迷惑をかけてしまうのではないか、と恐れていました。

それくらい世の中で「フェミニスト」という言葉は特別な人たちを差す言葉になってしまっている気がします。

世の中には悪い意味や揶揄として、他者を「フェミニスト」「フェミ」と名指す人も多くいます。
またフェミニズムに共感する人の間でも、「フェミニストはフェミニズムについて専門的に語れるもの」という前提で話したり、「何らかの抗議やアクションをしているのがフェミニスト」と定義してしまうことがあります。

そんな中でエマ・ワトソンが、“もし、あなたが平等を信じるなら、あなたも「隠れたフェミニスト」だ“HUFFPOST)と言ったとしても、「でも、自分がフェミニストを名乗ったら誰かに怒られるかもしれない…」という気持ちが湧き上がってしまいます。

でも、本当にエマの言う通りだとしたら、世の中の「フェミニスト」という言葉の使い方のほうが、根本的に間違っているのではないでしょうか。

性差別に反対するなら

私はこれから、単純に「この社会に性差別があるのは良くない、解決すべきだ」と思っているならすべからくフェミニストだ、と考えたいと思います。

フェミニズムは歴史上、運動であり、学問でもあり、学べば学ぶほどさまざまな奥深さがあるでしょう。
しかし、それらを全部知らなくたって、「女性差別があっていい」と思っているなんてありえないことじゃないですか。
もちろん世の中にはそういうセクシスト、ミソジニストが存在します。
だからこそ、差別に反対する人は名乗るまでもなく皆「フェミニスト」でいいじゃないか、と思います。

当然ながら、今「女性差別があっていいなんてありえない」とか「名乗るまでもなく皆フェミニスト」とか言えるのは、女性差別があって当たり前だった時代に、勇気を持ってフェミニストを名乗り戦ってくれた人たちがいたお陰です。
しかもそれは、そんなに大昔のことではありません。
女性差別が当たり前だと思っている人がまだこの社会にわりといる程度には、最近の話です。そのことは忘れてはならないことだと思います。

しかし、フェミニストを名乗るのに勇気や覚悟がいる時代はそろそろもう終わりにしよう、フェミニストであることを当たり前にしよう、と今は言いたい。
「人権派」なんてわざわざ名乗る必要がないように、「あなたはフェミニストですか?」という質問が愚問であると言いたい。

それは、「性差別には反対しているけれどフェミニストを名乗る勇気はない」という人たちと、現行フェミニストを名乗っている人たちが分断されているのがナンセンスだからです。

フェミニズムに共感する人たちは「性差別に反対するならばその人はもうフェミニストだ」という立場を取るべきだと思います。
世の中にはフェミニストであることが何か特別なことのように思わせたり、資格がいることのように思わせる罠がありますが、フェミニスト自身はそこに誘導されないようにありたいと思うのです。

意見が違うのは当たり前

「性差別に反対する人は、知識の有無や運動の経験に関わらずみんなフェミニスト」という基準で考えれば、フェミニストの中でも個別の事象に対する意見が分かれるのは、より一層当然のことです。
ほとんどの差別的言動は、「自分は差別主義者ではない」と思っている人が行います。
つまり、「自分が差別主義者でないと思うならフェミニストだ」とすれば、差別的言動をするフェミニストは単純計算で増えることになりますね。

でも、それでいいと思います。どんな差別的言動をする人でも、「自分はフェミニストではない」とは、とても恥ずかしくて言えないくらいになればいいのだと思います。(まあ「自分は性差別肯定派だ」と堂々と言う人も世の中にはわりといますから、そういう人は別ですが)

現行でもフェミニストを名乗りながら差別的言動をする人はけっこういます。
そういう人を「本物のフェミニストではない」と言ったり、殊更「フェミニスト内部の問題」として取り上げたりする必要もないと思います。そういう人は、自分は差別主義者ではないと言いながら差別的言動をしてしまう「普通の人」というだけです。

フェミニストですか?と問われたら

こんなふうに語っていても、「フェミニスト」という言葉のイメージがすぐに変わるのが難しいということは、私もわかっています。

しかし、せめてフェミニズムに共感する人たちから認識を変えていきませんか?

「あなたはフェミニストですか?」
と問われたら、
「当たり前じゃないですか。差別主義者なんかじゃないですよ」

そう答える気持ちで、フェミニストを名乗ってみませんか。

素材出典:写真AC

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