今の世の中、教え渋らなくてもいいんじゃないか

なぜ世間は、仕事をしたい人に仕事を教えることを渋るのでしょう?

気づけば大切な仕事の技術の多くが若い人に伝わっていない世の中になっている。まるで誰かに仕事を教えたら、自分の仕事が奪われるかのように、みんなその技術や方法を隠したがる。

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自分の書きたいこと書いて発信することを生業にしたい…と、ライターを志した当初からずっと思っていました。
でも、どうしたらそういうことができるのか、いくら調べても、その時の私には方法が見つかりませんでした。

調べ方が下手だったのか、その頃はまだ情報が世に出回っていなかったのか、今となってはわかりません。

日々チャンスと仕事を探す中で、いくつかのコースとして見出せたのは、

・まずはフリーランスではなく社員としてどこかのメディアのライターになり、その後独立する
・医療やスポーツなど、専門分野を持ってその分野限定のライターになる
・ネットの投稿などがバズって有名になり、仕事につながる
・小説の賞に応募して小説家を目指す
・ライター養成講座などを受講しコネを作る(どれくらい可能性があるのかは不明)

このどれも、私には選びにくいものでした。
そもそも会社勤めに適応できずにストレス性の病気になってフリーランスを目指したのだし、以前の勤め先も週刊新聞の記事を書く仕事だったけれど、その後何のコネにもつながっていない。
何かの専門家でもないし、ネットでバズるのも賞に応募するのも、運が向くこと、選ばれることを待つしかない手段。(それでも他の手段よりは挑戦しやすいと、いろいろな賞に応募したり、こまめにネットで発信したりもしていました)
講座などを受けるお金はないし、それが本当にチャンスにつながるのかもわからない。

仕方なく私は、求人サイトに出ているフリーライター募集にひたすら応募し、在宅での仕事をいくつかこなしました。
でもそういう仕事は、書きたいことを書けるわけではなく、記事に自分の名前も載らず、頑張っても低賃金で将来にもつながらない仕事でした。

こういう仕事の状態では自分のやっている仕事にコレという屋号をつけるのも難しいし、開業届を出すのも、自分の仕事が固まるまで先延ばしだな…と思っていました。

とつぜん訪れた閃き

しかし、ある日突然、「とにかく何かやれることを見つけて開業してしまえ!」という思いが湧いてきたのです。

そう思って計画を立て始めると、急にこれまでわからなかったいろいろな仕事のやり方が、あれもこれも次々とわかってきたのです。
なるほど、これまで「自分で事業を始めたい人へ」とうたったいろんな本で読んできた、「一つ何か掴めたら同じタイミングでどんどん道が拓けてきた」みたいなことって、こういうことなんだなあ、と。

いやでもそういうことじゃなくて!

みんなが知りたいことってそういうことじゃねんじゃないか、とも思うんですよ。

私もたぶん、こういうことを言いたくなるかもなあ、と思います。
もしもいつか事業の始め方がわからない人にアドバイスを求められた時に、「開業しようと本気で考え始めたら、急に道が拓けてきたんだよ」とか言っちゃうこと、うっかりするとしそうな条件が、今の私のこの状況には、揃っている気がします。

でも、そうじゃなくて。具体的に何をやったら商売として成立して、事業として運営できるのかですよね、聞きたいのは。

だから私は、見つけたこと、やったこと、その方法や手段をこれから全部書いていこうと思うのです。

競争社会に操られない

思えば、「他人に仕事を教えたら自分の仕事を奪われる」というのも、私たちがこれまで踊らされてきた、資本主義の幻想なのではないでしょうか。

経済活動は、大企業の莫大なお金の動きから個人個人の日々の生活費を稼ぐ営みまで、すべて他者との競争で、自分が独占できる取り分をいかに増やすかで成り立っていると、私たちは常に思い込まされている。

でも、世界の食糧は全人類分を補えるだけあるはずなのに、飢える人が誰もいないように分け合うことが、不可能なわけがないと思うのです。
富が無限に成長し続けることもないし、その成長率を互いが競い合うための指標にするなんていうことも、まったく無意味だと思うのです。

みんなが生きていくために、みんなで分け合うことはできる。

それが、このウェブサイトによって示したいひとつの基軸です。
みんながその日その日の暮らしに苦労しているこの現代、情報もスキルも資源も分け合う方が、お互いを支えともに生き延びる最良の術なのではないか?その実践の場が、ikinobiです。

いきいきのびのび生き延びる。

「いきいきのびのび」という言葉に、「常に前向きに輝いていなければならない」という抑圧を感じて拒否感を抱く人もこの社会には多いかもしれません。
だからこれはikinobiの裏テーマにしました。

でも、「生きる」ということは、ただ「死んでいない状態であればいい」という考えでは、持続できないものだと日々実感するのです。
自分の生きたい生き方をする自由を奪われず、機械か動物のように扱われず、尊重される。
そういうことが失われた時、人は「生きていけない」という絶望に襲われる。
だから本当は、いきいきと自由で、のびのびと抑圧されない生き方をすべての人が得られなければいけない。

それを実現するための、さまざまな情報やコラムを、今後ikinobiでは発信していこうと思います。

素材出典:写真AC

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