小さな物語

8/7に、WAR BRIDEというお芝居を観てきた。

舞台「WAR BRIDE」公式サイト

奈緒主演「WAR BRIDE -アメリカと日本の架け橋 桂子・ハーン-」実在の日本人女性の半生を舞台化!

戦後間もない時代にアメリカ兵と結婚した女性の実話らしい…くらいの前情報で観に行ったけど、思っていた以上に現代に問いかけることの多い作品だった。

今よりもずっとアメリカ人と日本人の間に深い遺恨があった時代に、国籍が何であろうと人間同士であるという信念を持った2人が出会い、その愛を貫いたという実話に基づく物語。
戦時下の空襲の最中に、「非国民と呼ばれようと戦争は嫌い」と叫ぶ姿、カトリック女学校で教わった「すべての人を愛せよ」という教えを国籍・人種の違いを越えて守り抜く姿。
あまりにもまっすぐ現在の日本社会に突き刺さるクリティカルで、驚いたけれど、もう少し以前だったら当たり前の平和主義的メッセージで、ちょっと退屈にすら思われる節があったと思う。

そう…「戦争は絶対に起こしてはいけない」とか、「日本人でも外国人でも人間であることに変わりはない」とか、そんな言葉は、道徳的で当たり前すぎるものでなきゃならなかった。
道徳的で当たり前のことを言うのが、挑戦的でクリティカルと評される時代になってしまったと感じる。

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同時に、作中で描かれる戦中戦後の登場人物たちの暮らしを見ていて思ったのは、誰にでも、自分自身が主人公の「小さな物語」がある、ということ。
「大きな物語」と「小さな物語」という言葉は哲学者ジャン=フランソワ・リオタールの『ポスト・モダンの条件』による。
実はあんまり詳しくないのだが、マルクス主義批判の文脈で語られたものらしいけれど、戦争こそ全体主義的な「大きな物語」の最たるものかもしれない。
それに対して、演劇の中では今日何を食べるかとか、花を育てるのが好きだとか、生活や個人に根ざした「小さな物語」が生き生きと輝いて見えた。

誰もが自分の小さな物語の主人公であるはずなのに、できうる限り大きな物語に関わりたい、端役でもいいから大きな物語の登場人物になりたい、と望む人々の欲望につけ込むのが上手い人たちがいることを、このところずっと感じている。
昨今の政治や世論の流れにも、それが関連しているように思えてならない。「外敵から国を守る」というストーリーは、いかにも大きな物語に自分が参加したような高揚感を与えてくれそうだ。

だけど、どんなに大それたことを言っても、どの水準であれ生活は続いていくし、食べて排泄をする。
フェミニズムの文脈でいえば「個人的なことは政治的なこと」。
無数の小さな物語の延長線上にしか、政治も国も社会もない。

仕事に行って、帰りに買い物して帰るだけでも、実際の生活の中ではかなりいろんな要素が関わってきて、あのストックがなくなったからドラッグストアに行こうかとか、でもこれはスーパーの方が安いとか、駅前で済ませたいとか、そういうことを考えているだけでもけっこう物語的なことだよなあ、と思う。
きっとそういうミクロな話がダサく思えて、国を守るとか日本人を守るとかいう大きい話に陶酔したくなる人も多いんだろうけれど。
でも、ミクロな話を詰めた方が小説は面白くなるんだぜ。

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今年の広島・長崎の原爆忌では、「二度と繰り返さないように」という言葉を聞くたびに、破壊の限りを尽くされたガザの惨状が頭に浮かんだ。核こそまだ使われてはいないが、世界は同じ戦禍をすでに生み出してしまっている…

Atsuko S 🍉 on X (formerly Twitter): “#ガザ と #ヒロシマ ―同じ焦土。同じ災厄。#ガザ翻訳画像上:1945年8月の広島の焼野原画像下:2025年8月のガザの破壊の跡 https://t.co/qqKSkCiSrK / X”

ガザ と #ヒロシマ ―同じ焦土。同じ災厄。#ガザ翻訳画像上:1945年8月の広島の焼野原画像下:2025年8月のガザの破壊の跡 https://t.co/qqKSkCiSrK

パレスチナの人々のミクロな日常には、私自身全然想像が及んでいないと思う。
細部まではつらくて考えきれない気持ちも正直ある。
だけど必ずあるのだ。一人ひとりの小さな物語が、そこに。

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