ドラえもん映画考、孤立する子どもたちとジェンダーなど②

ドラえもん映画考、孤立する子どもとジェンダーなど①の続きです。

今回はしずかちゃんを中心に、のび太とドラえもん以外のキャラクターを見ていきます。しずかちゃんに関しては、聡明すぎるがゆえの孤立と、本当に女の子らしいのか?といった点に注目していきます。

しずかちゃんのキャラクター

しずかちゃんこそ、作品によって最もブレているキャラクターといえるのではないでしょうか。まるで聖女のような時もあれば、幼かったり、妙に「女っぽい」属性を重ねられている時もあります。

この点に関して言うと、「のび太の海底鬼岩城」(1983年)での都合の良い母性的役割の押し付けや、「のび太の魔界大冒険」(1984年)でのきれいな女性に嫉妬する描写などは、個人的には解釈違いで好きになれませんでした。
一方で「のび太のパラレル西遊記」(1988年)で見せた、三蔵法師役になりきるお茶目な一面は魅力的です。

この性格のブレはおそらく、「ヒロイン」でありさえすれば、しずかちゃんというキャラクターが成立してしまうという、設定上の問題によるものでしょう。
しかしながら、通底する個性はだんだんと表れてくるものです。毎回のび太くんたちとの冒険に、積極的に加わろうとするなど、おしとやかそうに見えて、好奇心旺盛で行動的なところは、シリーズを通して共通しています。

*聡明すぎる子ども

そしてしずかちゃんも、やはり同年代の中で浮いてしまう子どもなのではないかな、と私は考察しています。
女の子たちと一緒にいるシーンもあるので、全く女友達がいないわけではないのでしょうけれど、おそらく幅広く誰とでも仲が良く、特定の仲の良い女子はいないのではないかと推測されます。

その原因の一つには、しずかちゃんもまた、のび太以上に、倫理的に同年代の子たちよりかなり成熟していることがあるのではないでしょうか。その深い考えを語り、正しいと思うことを貫徹するしっかりとした意志を持つ様子は、小学生とは思えないほどです。

そんなしずかちゃんの聡明さが最も発揮され、精神が試されるのが、1986年公開のシリーズ第7作「のび太と鉄人兵団」です。

この作品の見どころは、なんと言ってもしずかちゃんと、ロボットの少女リルルとのシスターフッドです。
リルルは人間を捕獲し奴隷にしようと攻め込んできた、ロボット軍団「鉄人兵団」の一員です。しかし、負傷して倒れたリルルをしずかちゃんは放っておくことができず、献身的に介抱します。

なぜ敵の自分を助けるのか問うリルルに、「ときどき理屈に合わないことをするのが人間なのよ」と大人びた答えをするしずかちゃん。
また、リルルから「人間を見放した神が、ロボットの社会を作り、ロボットが互いに支配しあった歴史を経て、今度は人間を奴隷にしようとしている」という話を聞いた時には、「まるっきり人間の歴史じゃない。神様もがっかりなさったでしょうね」と言うのです。
小学5年生の子がそんなシビアな評価を即座にできます?めちゃくちゃ頭良いなこの子?
でも、ここまで聡明だと、分かり合える友達が同年代にいないのも、無理はないようにも思えます。

その後鉄人兵団との戦いは、しずかちゃんとリルル、2人の行動によって解決されることとなり、別れ際に「2人はずっと友達」と誓い合います。ここは涙なしには見られないシーンですが、しずかちゃんに女の子の親友がいないことを考えると、さらに胸を打つものがあります。

この作品でのしずかちゃんがいきなりチート的に頭が良すぎるのかというと、そうとも限りません。
「のび太と雲の王国」(1992年)では、地球の自然破壊を止めるために、地上の文明をすべて大洪水に沈めてしまう「ノア計画」を立てた天上人たちに、地球人の非を認めた上で、「自然を守ろうと運動している人たちもいる、長い目で見てください」と訴えています。
他の作品でも、しずかちゃんが他のキャラクターにはない聡明さで推理力を発揮したり、物事を解決に導く描写はしばしば登場します。

聡明すぎる小学5年生のしずかちゃんにとって、その正義感を分かち合える数少ない同年代の友達は、のび太くんと出木杉くんなのではないでしょうか。
「正しさや優しさために行動すべき」という同じ意志を持つ者として、しずかちゃんはこの2人とは、特に仲良くしているように見えます。それでも、異性として自分を見る彼らはしずかちゃんにとって少し物足りない友達で、だからこそリルルとの出会いは特別だったのかもしれません。

ジャイアンとスネ夫はその点でいうと、しずかちゃんにとっては、友達とは思っているけれど、のび太とドラえもんを介さなければ、深く付き合うこともなかったのでは…と思ったりします。まあこの2人については、また後ほど。

*少年しずか

そしてもう一本、しずかちゃんを見る上でおすすめの作品が、1994年公開のシリーズ第15作「のび太と夢幻三剣士」です。

この作品は、ドラえもん映画の中でもちょっとした異色作ではないでしょうか。
全編にわたる、楽しい悪夢のような、「うる星やつら ビューティフルドリーマー」にも似た心地よい不安感は、子ども向けのアニメ映画とは思えない雰囲気です。
ひみつ道具「気ままに夢見る機」と「夢カセット」で、思い通りの夢を楽しもうとするのび太とドラえもんは、だんだんと夢の世界にのめり込んでいきます。

夢の物語の配役として、のび太はしずかちゃんを王女様役に抜擢します。しかし、この王女様は見知らぬ剣士と結婚させられることを嫌がり、男装して城を抜け出してしまいます。男装した王女はシズカールと名乗り、剣士として、正体に気付いていないのび太たちと共に旅をすることとなります。

で、このシズカールがめちゃめちゃ魅力的なのです!
男の子になりきっているしずかちゃん(の配役された夢の中の王女)は、美少年のような可憐さとりりしさです。

ふだんは「女の子らしい」表象を好むしずかちゃんですが、「のび太の太陽王伝説」では、学芸会で「王子様の役をやってみたい」と発言することもあり、もしかしたら、男の子のように行動してみたい願望があるのかもしれません。
シズカールを見ていると、もしも親や先生や社会の目を気にせず、女の子らしく見せなくても良い環境でその勇気や能力を存分に生かせるのなら、しずかちゃんはこんなふうに行動するのだろうか、と胸が痛くなるような思いに駆られます。

しかしこの作品、ストーリーは一般にも賛否が分かれるカルト的映画であり、シズカールの結末にも納得できるかといったら微妙なところではあります。

ところでしずかちゃん、小学5年生にしてはメルヘン趣味すぎるのではないかということも、ちょっと気になるところです。
この年頃の女の子は、アイドルに夢中になったり、大人っぽい表象に憧れ始めるものなのに、しずかちゃんは、ぬいぐるみやお人形を愛でたりと、あまりにも自分の世界に生きているように思えます。

厳格な家庭で「おしとやかに」育てられているという環境要因もあるのかもしれませんが、「のび太の宇宙小戦争(リトルスターウォーズ)」(1985年)で、お気に入りの人形たちを使ったメルヘンな特撮映画を撮ろうとするところを見ると、しずかちゃんのメルヘン趣味は、筋金入りのように思えます。

もしかしたらしずかちゃんは、10~20代には、ロリータファッションに目覚めるタイプなのかもしれません。
自分のやりたいことに勇気をもって挑戦したい思いと、メルヘンな表象を好む志向には、ぴったりのファッションなのではないでしょうか。お金のない中高生のうちは、axes femmeあたりに傾倒する様子が目に浮かびます。
きっとその頃には、個性的でナイスな女友達がいるのではないかと、私は信じています。

ジャイアンとスネ夫

ジャイアンに関して最も気になる点は、被虐待児であるということです。
ジャイアンが母親にボカスカと殴られている描写は、漫画的表現であって実際の暴力と結び付けて見なくてもよい、という見方もあるかと思います。
しかし、「のび太の大魔境」(1982年)で、母親に叱られて帰ってきたジャイアンのあざだらけになった姿には、さすがにドキッとします。

1970年代に始まった作品なので、のび太も親や先生からげんこつを一発くらうくらいの描写がしばしばありますが、ジャイアンほどめちゃくちゃに殴られている子は、ほかにいないように見えます。自分が日常的に暴力を受けているからこそ、同級生に暴力をふるうことにためらいがないと考えると納得がいきます。
暴力的なジャイアンは、のび太にとっても天敵ですが、それ以外のクラスメイトからも、あまり好かれてはいないようです。

スネ夫は、そんなジャイアンに打算的に追従する少年。家がお金持ちであることをいつも自慢していますが、腕力でかなわないジャイアンには、不満を持っていても、強く出られません。
スネ夫はなぜ不満を持ちながらも、いつもジャイアンとつるんでいるのでしょうか。ジャイアンのそばにいれば、自分が強くなったようにふるまえるということも、一つかもしれません。しかし、おそらく彼も、クラスで嫌われてはじかれてしまう存在だからという理由も、大きいのではと思います。

自慢話ばかりするのは、コミュニケーション下手の表れでしょう。
自慢をする人は、「自分をより立派に見せること」で他人の気を引こうとするのですが、相手は逆に、「思いやりや歩み寄りのない態度」と受け取り、気分を害してしまいます。
周りの子たちとうまくコミュニケーションが取れないスネ夫くんは、ジャイアンとつるんで意地悪をすることで、嫌われ者同士の絆に救われているのではないでしょうか。

意地悪で暴力的なジャイアンと、その腰巾着スネ夫という、クラスの「嫌われ者」の2人。だからこそ、「はみ出し者」ののび太を唯一かまうのが、彼らなのかもしれません。
いじめっ子といじめられっ子の関係でありながら、結局いつも一緒に遊んでいる不思議な関係の双方。ジャイアンとスネ夫には、のび太をかまうことで、嫌われ者である孤独を慰めている心理もあるように思えます。

ところで①でも私の最推しドラえもん映画としてご紹介した「のび太の太陽王伝説」では、ジャイアンに関しても興味深い描写があります。
ジャイアンは、自らやってみたいと申し出た棒術の稽古に、まじめかつ熱心に取り組み、指導者のイシュマルにも敬意を示すとても良い生徒となります。
良い指導者とスポーツを通じて、暴力衝動に囚われていたジャイアンがまったく違う生き方を選べるという、教育の可能性をこの脚本は伝えているようです。

一方のスネ夫くんには、機械系の操作が得意という隠れた才能があり、冒険の中でもたびたび活躍しています。もっとも慎重派で、簡単に勇ましく戦ったりしないところも、機械を扱う上で必要な、構造をしっかり見極めて考える性質からきているのかもしれません。
彼がもう少し大きくなって、機械いじりが好きな仲間に出会い、自分自身を誇れる自信が身につけば、お金や家柄などを自慢することは、あまりなくなるのかもしれません。

しかし、こうして見ると、のび太くんだけでなく、メインキャラクターの子どもたちは一様に孤独を抱えています。ともに数々の冒険をした仲間でありながら、互いを親友とは呼びきれないこの関係性は、少し切なくもありながら、だからこそドラえもんが彼らに必要だったのかも、とも思わせます。

【番外編】のび太ママ

のび太ママは、メインキャラクター以上に形骸化されていて、その内面を深く考察することは難しいのですが、そんなのび太ママが感動的な活躍をする作品が、1990年公開のシリーズ第11作「のび太とアニマル惑星(プラネット)」です。

のび太たちの大切な遊び場でもある裏山を切り崩しゴルフ場にするという計画に、のび太ママをはじめとする町内会の大人たちは、署名を集めて反対運動を起こします。
その様子を目撃したのび太は、「ママ、反対運動がんばってね!何かお手伝いすることある?」とその行動を絶賛します。

身内が社会運動に参加する様子を見て、照れたり反発したりしない素直なのび太くんの良さがここにも表れていますが、それはもしかしたら、ふだんから家庭の中に社会的意識を持つ大人たちを見ているからかもしれません。
裏山の緑を守る運動を始めてから、ママは世界の環境問題についても熱心に学び始めます。

本編ではのび太たちが、動物が人間のように進化した不思議な惑星で冒険を繰り広げますが、大人たちによる環境保全運動はその裏で粛々と進められ、署名を集めるというシンプルで地道な手段によって成果を生み出します。

子どもたちのファンタジックな冒険とは別に、大人たちは大人なりのやり方で、きちんと希望を作り出している。私たち大人も、子どもたちのやさしい空想を守るためのアクションを現実の中で起こし、子どもたち以上の夢を見ることできると示されているようです。

そんなわけで、「のび太の太陽王伝説」に次ぐおすすめドラえもん映画は、しずかちゃんのシスターフッド展開が熱い「のび太と鉄人兵団」、のび太ママの活躍が目覚ましい「のび太とアニマル惑星」です。
そして作品全体の評価とは別に部分的に面白いのは、男装のシズカールがめちゃめちゃかわいい「のび太と夢幻三剣士」。あと、あまり紹介はしませんでしたが、「のび太のパラレル西遊記」は個人的に音楽賞と思っております。(主題歌も名曲だけれど、ゲーム場面の音楽もとても良い)

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文/きっかけ書房 宇井彩野
素材出典/写真AC

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