①ではタイドラマの配信スタイルとファンの動きが世界の経済体制を変化させる可能性について語りましたが、続く今回は、タイBLドラマが示している価値観のアップデートについて主に語りたいと思います。
それは、これらのドラマの示す価値観が、タイから世界を変えていきそうな気配を肌で感じているからです。
「男じゃなくて彼が好き」だった2016年
タイのドラマ制作局の中で、近年とくにBLに力を入れているGMM TV。
多岐にわたるタイBLドラマにおいて、GMM作品のみでその変遷を語るのは少々乱暴かもしれませんが、GMMの4大BL作品の流れには、確実にポリティカルコレクトネスの向上と価値観のアップデートが見てとれます。
2016年放送の『SOTUS』は、現在のBLドラマブームの礎となった伝説的な作品。
しかし、この作品ではまだ、登場人物の差別的言動が放置されている部分や、ステレオタイプなBL描写が多く出てきます。
たとえば、工学部のヘッドワーガー(後輩の指導役リーダー)「アーティット」(演・Krist Perawat)が、新入生の「コングポップ」(演・Singto Prachaya)に大衆の前で「僕は男が好きです」と大声で言わせる後輩イビリのシーンが出てきます。
とても平気では見ていられない差別的いじめのシーンですが、同作中では「対立する2人が惹かれ合う」筋立てのためのスパイスとしてしか描かれていないように感じられます。
また、恋人同士になったことを友人たちに伝えたシーンでは、友人が「男が好きだとどうして教えてくれなかったんだ?」と尋ねます。
問われたコングポップは、「男が好きなんじゃなくて先輩が好きなんだ」と答えます。
これは日本のBL漫画やBL小説では、かつて定番の常套句でしたが、近年ではあまり見かけなくなりました。
単純に、使われすぎてパターン化し、逆に使いにくくなったこともあると思いますが、内外から「その表現は差別的でである」との指摘を受けたことも、昨今見られなくなった一因ではないかと思われます。
「元々男性が好きなゲイである」ということが、貶められたり笑われるような対象であり「かっこいい主人公には似合わない」という認識が、かつての日本のBL読者や作者の中には確かにあったと思います。
それが今では、元々ゲイを自認するかっこいい・かわいい主人公のBL作品も多く見られ、当たり前に浸透するようになりました。(ちなみに先日私がジャケ買いした日本のBL漫画3冊のうち、2冊が主人公が元々ゲイという設定でした)
もちろん、元々ヘテロ(異性愛者)を自認していた主人公が男性と恋に落ちる展開自体は、廃れていませんし、何の差別性もありません。しかしその時に、「彼が好きなだけでゲイじゃない」といった否定的表現や、「愛に性別は関係ない」といった同性愛者の存在をあいまいにするような誤魔化しの表現を使わないことは可能であり、その認識は近年広まっているように感じられます。
2016年の『SOTUS』は、まだ認識レベルは十数年前の日本のBL作品に近かったようですが、そこからたった数年でのアップデートは、目を見張るものがあります。
そして、おそらく日本で今、BLドラマが地上波ゴールデンタイムで放送されたとしても、十数年前のBL漫画から進歩していないものになることはかなり想像できます(実際に『おっさんずラブ』はそうだったといえるでしょう)。
しかし、そこからファンの指摘を取り入れてアップデートしていけるかどうか…。日本のエンタメの成熟度が試されるところかもしれません。
ともあれ、『SOTUS』は男性同士の恋愛を茶化さず悲劇に押し込めず、真っ向からロマンチックに描き多くのファンを獲得するという実績を作った、歴史的に偉大な作品です。
人間関係と愛の描き方がぐっと深まる2019年
『SOTUS』のヒット後、2017年には続編の『SOTUSS』、2018年には5組のBLカップルの物語がオムニバス形式で展開する『Our Skyy』が放送されます。
そして2019年、『Theory of Love』、『Dark Blue Kiss』という、GMMのBL作品の中でも名作との呼び声高い2作が登場します。
『Theory of Love』は、プレイボーイな同性の友達に片想いする大学生の物語。
プレイボーイの「カイ」(演・Off Jumpol)は、物語の前半で、友人である「サード」(演・Gun Atthaphan)に不誠実の限りを尽くしますが、ある時本当の愛に気付き、自分自身の気持ちに正直になろうとします。
しかし、彼自身の過去の行いは、そう簡単に許されるはずもありません。そこでカイは、自分を想ってくれていた人の誠実さに気付いていきます。
カイも本来は素直な性格のようなので、前半は「荒れていた時期」なのかもしれませんが、若気の至りの過ちを、ロマンチックラブで簡単に解決させてはくれないのが、この作品のすごいところ。
愛にはロマンチックな感傷以上に「誠実さ」が大切なのだということを、BLというジャンルにおいて描き切り、しかし、しっかりときめかせてくれるハッピーエンドに仕上げています。
カイに片想いするサードの気持ちを知った友人の反応も2016年とはまったく違っています。
この時友人が注目するのは、サードが同性愛者であるかどうかではありません。彼は、3年もつらい片想いをし続けていたサードに驚き「お前は強いやつだな」と感嘆して、サードに協力すると宣言します。
友人として、「目の前の友達が苦しんでいること」以上に重要なことはない。セクシュアリティの描き方以上に、人間関係の描き方そのものが、2019年のこの作品では、より深く丁寧になったように感じられます。
続いて同年に放送された『Dark Blue Kiss』は、同性愛者であることと家族との関係に焦点を当て、多くの当事者の共感を得ました。
裕福な家庭で育った俺様気質な「ピート」(演・Tay Tawan)と、母子家庭で家計や妹の学費を支えようとする健気な苦学生「カオ」(演・New Thitipoom)は、恋人同士であることを大学の友人たちにも秘密にしています。
会社経営者のピートの父親は、カオとの交際にも理解がありますが、一方でカオは、家族を支えなければならない責任感もあいまって最愛の母にカミングアウトできません。
この家計の苦しさがカミングアウトのしづらさにもつながっているという設定は、なかなかにシビアです。
またこの作品は、ピートがカオを愛するために、2人の経済格差や立場の違いを理解しカオに寄り添えるかが試される、ピートの成長物語でもあります。
ピートは作中で、「なんで俺たち(同性愛者)は他人よりいい人間だってことを証明しなくちゃならないんだろうな」と、カオに語ります。
それに対しカオは「自分のセクシャリティが親をがっかりさせるからだよね」。
ピートは「俺は自分がなりたいからいい人間になるのであって、男が好きだからみんなよりいい人間になりたいわけじゃない」と返します。
同性愛者であることで背負わされる抑圧の一端を、非常に鋭く切り取った名シーンです。
カオに出会う前は女性と付き合っていたピートが、自分自身を「男が好き」な人間だとなんのためらいもなく表現すること自体も、2016年から2019年までのアップデートの急速さを実感させます。
もう誰も問題視しない2020年
そして2020年。『2gether』 は、『Theory of Love』や『Dark Blue Kiss』に比べて軽いタッチのラブコメディに見えますが、同性愛がタブー視されないという点では、現実世界よりも一歩先の未来を描いたとも思える作品です。
実は日本のBL漫画や小説では、「主人公たちが同性カップルであることを誰も問題視しない優しい世界」というのは、かなり以前からよく見られる設定でした。日本の「やおい文化」が持ち込まれて発展したというタイBLにおいても、おそらくそういう作品は少なくないのでは…?
ところがドラマにおいては、本人も周りも同性同士であることをあまり問題視せず、ゲイヘイトの人物も一人も出てこない作品は、けして多数派ではないように感じられます。
実写になることで、現実とは異なるファンタジーを貫くことがより難しくなった側面はあるのかもしれません。
その点において、『2gether』はラブコメディとしてのBLドラマの新たなステージに挑戦した作品といえるのではないでしょうか。
『2gether』では、主人公の「タイン」(演・Win Metawin)は、ゲイの同級生に猛アタックされて困っています。それを友人たちに相談すると、友人の一人が尋ねます。
「どうしてダメなんだ?ゲイが嫌いなのか?」
対するタインは、「そうじゃない。高校の時ゲイの友達はいたけど、俺は女の子が好きなんだ」と答えます。
友人の問いに対して、タインの答えは少々考えが浅いようにも思えます。この問いは、「ヘイトしているわけでないなら、性指向で決める前に、〈相手と自分〉という個と個の関係性として考えてみるべきでは?」という意味にも捉えられるからです。
実際タインはその後、アタックしてきた同級生とは別の、同性である「サラワット」(演・Bright Vachirawit)に惹かれていくのですが、いかにもホモソーシャルなノリになりそうな男子大学生ギャング(仲良しグループ)の中で、上記のようなセリフが聞けるとは、2020年でもさすがに驚きました。
タインとサラワット、さらに他のBLカップルたちの恋が進んでいく段階で、周りの友人たちはそれぞれの立場からいろいろな忠言をしたり、おせっかいを焼いたりしますが(※)、その時にも「同性同士であること」については、直接的には否定どころか、指摘すらされません。
ちょっと前まで女の子のことばかり騒いでいたキャラクターが突然男性に一目ぼれしても、誰もそれをおかしいとは言いません。
※タイのドラマに出てくる友人たちは、なぜか基本的にすごくおせっかいです。日本社会とは逆の、「知らんぷりするよりもおせっかいな方が良い」という文化が根底にあるように見えます。
また、タインに告白するゲイの同級生「グリーン」(演・Gun Korawit)の存在も、これまでのタイBLドラマにおける、「ゲイライクなゲイ」の描き方から一歩進んだ印象です。
タイドラマには定番といっていいほど、トランスジェンダー女性や、フェミニンなふるまいのゲイ男性が登場します。これは実際のタイ社会における「レディボーイ」の文化などによって、彼らが現実の日常にも多く存在することと関係しているようです。
しかし、ほとんどのドラマで彼らの扱いは、脇役や、賑やかしの友人役であり、あまりストーリーに絡むこともなく名前も覚えられないような役回り。
しかしグリーンは、1話目からその名前を大きく印象づけ、ストーリーに大きくかかわります。グリーンのタインへの好意はただギャグ的に消化されるのかと思いきや、シリアスなグリーンの告白に胸が痛むシーンもあります。そして、グリーン自身にもイケメンの相手役が現れるのです。
さらに、現在放送中の特別編『Still 2gether』ではすっかりタインと良い友達になったグリーンが、これまで以上にストーリーの中心にかかわってきます。
まだまだ、グリーンのギャグ的扱いには引っかかるところもありますが、今後どのように描かれるのかは、注目していきたいポイントです。
新世代BrightWinの衝撃
そして、ドラマの内容以上に驚かされたのが、『2gether』の主演カップルBrightとWinのインタビューでの発言でした。(タイBLドラマの主演ペアは、多くの場合2人の名前をつなげた『BrightWin』のような呼称で、コンビでの番組出演やCM出演などの活動を行います。)
Bright: …僕は視点が変わったというより、より広く見えるようになった感じです。僕の叔父にも彼氏がいて、だから男性同士の恋愛があるということは、この作品に出会う前からわかってはいたんですよ。ただ、僕自身はそれを感じたことはなかった。でも、こうしてSarawatを演じてみたことによって、なるほど男性から見たときに男性のこういう部分を可愛いと思うんだなということがわかるようになったり。 (中略)
タイBL『2gether』の2人に日本初インタビュー!「女でも男でも、好きという気持ちは同じ」 – mi-mollet
Win:(略)Tineを通じて思ったのが、僕の中にも大切な人を守りたいという気持ちがあって。でもSarawatと出会ってTineが感じたのと同じように、僕にも守られたい気持ちがあるんだっていうことがわかった。その気持ちに気づいたときに、なんて言うんだろう、自分がこんなふうに小さくなったような感覚でした(と、親指と人差し指で小さく測るような仕草をする)。
また、これ以前にWoodyFMという番組でも、Brightは同性への恋を演じた感覚について語っています。
Bright:…サラワットの役を通じては僕はタインに魅力を感じていました。
Bright&Win Fansite
サラワットがタインのことが好きだと思う理由が僕にもわかったんです。
いつものように男性を見るときのレンズとは別のレンズを通してタインを見ていたと思います。
女性を愛することと何も変わらず、この男性を愛していると思いましたし、(異性間と同性間問わず)愛には違いがないことがわかりました。
上記サイトの日本語訳とは少々ニュアンスが異なるのですが、動画の英語字幕を見ると、
❝Realization that, oh, I can love this guy, in the same way that I could love a woman or anyone else.❞
❝ああ、僕はこの男性を、女性や他の人を愛するのと同じように愛することができるんだな、と気付いた❞
とあります。
これらの発言は、今まで私が同性愛の役を演じる俳優から最も聞きたいと思っていて、なかなか聞けなかったものだったので、本当に驚きました。
日本の俳優が同性愛の役を演じた時に、私がよく鼻白んでしまうのは、俳優たちがインタビューなどで「自分自身は絶対に同性愛者になることはない」という立場でものを言うことです。
その上で彼らは、期間限定の「同性愛ごっこ」がいかにロマンチックであったかを喧伝し(この雰囲気は非常にホモソーシャルを感じさせます)、撮影終了とともにごっこ遊びも終了したことを、切なくドラマチックな美談のように語ります。
そんな俳優たちの仕草に鬱憤が溜まっていた中で、自分自身が男性を愛しく思う見方や可能性に気付くところまで、または 「守られたい」という気持ちを抱くという男性ジェンダーロールではない愛のあり方に気付くところまで、自分の身に引き寄せて同性愛者を演じた2人の言葉は、衝撃的かつ感動的でした。
1997年生まれのBrightと1999年生まれのWin。この新世代の感覚の良さに、痺れずにいられるでしょうか。
実際に彼らがいつか、または現在、恋をするのが女性だとしても、それは問題ではないのです。重要なのは、BrightWinが、同性愛者のあり方を自分自身とは異質なものとして切り離さなかったことです。
まだ始まったばかりのBLドラマ文化
ひとつ大事な視点としては、このBLドラマ文化は、始まったばかりの文化で、まだまだアップデートできる余地があるということです。
たとえばそれは、「賑やかし」扱いされがちなレディボーイやゲイライクなゲイの扱いであったり。または、BLと同じくらい女性同性愛者が活躍できる物語を生み出すことであったり。俳優がロマンス営業によってプライベートまで消費されないための仕組み作りであったり。現在BLジャンルで活躍している若い俳優たちが、30代を超えても同じように活躍できる可能性の追求であったり。
この辺に関して問題視する声はファンからもよく上がっていますが、ジャンル自体の歴史が浅いため、どれも「まだ出来ていない」けれど、これから出来る可能性はあると思うのです。
タイBLドラマの流行は、ファンの行動によって支えられた部分が多大にある文化です。これからも、ファンが積極的に声を出してこの文化に参加し続けることによって、より良い形に変えていけるのではないでしょうか。
アジア・デモクラシーへの期待
そしてもう一つ願うのは、BLファンがタイという国に関心を持つとともに、民主主義への関心も高まってほしいということです。
タイでは現在、民主改革や、軍が主導権を握る現政権の退陣を求めるデモが、かつてない規模で展開されています。ドラマをきっかけに世界的な人気を集める俳優たちも、多くこの動きに賛同しています。
これに対しタイ警察は、著名な民主活動家を逮捕するなど、強硬な手段に出ており、予断を許さない状況が続いています。
日本からは限定的な情報しか得られない現状ではありますが、ドラマのファンになったことをきっかけに、タイという国そのものを愛するようになり、このような民主化運動に関心を持っている人たちも少なくないように見えます。
日本では、民主主義を守るための運動も「輪を乱す行動」「批判ばかりしている人たち」と、世間から白眼視されがちですが、タイで立ち上がっている人たちがなぜその行動に出る必要があったのか、また、翻って日本の民主主義はどうあるのか、私たちはどう行動すべきなのか…私自身も、ドラマを愛するだけでなく、タイの人々と共に考え、つながれるようになれたら、と思っています。
タイBLは世界を救うか。その問いの答えは、それを消費する大衆の一人ひとりが、どれだけ成熟したファンになっていけるかにかかっているのかもしれません。
(…ところで、固有名詞が出すぎると混乱するので役名をかなり省略しましたが、エムくんもトゥーくんもプアクもマンも、本当は名前を出して語りたかった思い入れの強い登場人物です!彼らが誰なのかは、ぜひドラマ本編をご覧ください!)
素材出典:写真AC