「今、タイのBLドラマが熱い!」という話を、どこかで聞いたことがある人も増えているのではないでしょうか。
私もこのほどYouTube配信のタイドラマにどハマりし、二月と経たないうちに、何作ものドラマシリーズを完走してしまうというスピードで「履修」を進めています。(※タイBL界隈では、豊富な作品のうち、どれを既に観て、どれをまだ観ていないかを説明する時に「履修済」「履修中」「未履修」などの表現がよく使われています。)
そしてこの、沼のようにずぶずぶとハマって抜け出せない世界=「タイ沼」の、新しさとエネルギーに、何かこれは単なるオタク趣味やエンタメを超える力を持つのではないか…とまで考えるようになりました。
日本には「愛は地球を救う」と謳う某長時間番組がありますが、タイから発信されたこの愛は、本当に世界を救うのではないかと!
共有したい、繋がりたい時代に
タイのドラマがYouTubeを通じ、各国のファンの草の根的な布教活動で盛り上がっていったことは、すでに多くのタイドラマファンが語ってくれています。
(参考)「友人がなぜかタイ語のツイートを大量にRTしている」SNSを席巻するタイBLを知っていますか?
離れていてもたくさんの人と情報共有することが可能になってきたこの時代。最近の若者はスマホに夢中で、対人でのコミュニケーションが希薄になっているのではと、危惧する声もあります。
しかし、こうした情報端末で得られる娯楽への欲求…SNSや動画サイト、オンラインゲームは、むしろ物欲にとって代わったものなのではないか…と、私はよく考えています。
かつての若者が、車や高級品を持つことにこだわり、時には依存したのと同じような感覚で、今の若者はSNSや動画サイトで人と情報を共有し、共感し合うことにこだわる。
興味の対象が移り変わったことに、善悪も優劣もつけられないでしょう。
一番大きく変わったのは社会状況であり、若者の欲がなくなったわけでも、何かに依存し振り回される若者が、昔に比べて殊更に増えているわけでもない気がするのです。
「物欲」の時代から「共有欲」の時代へ。面白いもの、良い情報、美しいものなどを見つけたら、すぐに誰かと共有したくなる。それを見た人から反応をもらって、その人の気持ちも共有させてほしくなる。
「物欲」も「共有欲」も、全くなくなってしまっては社会が成り立たなくなるし、しかしそれに依存しきってしまうのは危ういという点でも同じです。
そんな「共有欲」最前線の時代に、まさにその潮流を捉えたのが、タイをはじめとする動画サイトのドラマ配信だったように思えます。
最近では、日本のドラマもSNS上の評判やレビュー記事から知ることが多くなりました。
事前にテレビ局が流す番組情報よりも、視聴者の生の「面白い!」という声は、観たい欲求にダイレクトにつながります。しかし、日本のドラマはほとんどが、「後追い」しにくい現状があります。見逃し配信も大抵1,2週間ほどで有料になります。これが全話ずっと無料、しかもアクセスしやすいYouTube配信だったら、いくつかのドラマはきっと、評判を聞いて最新話まで一気見する人が多くいただろうと悔やまれます。日本のエンターテインメントの現状は、ほとんど「共有欲」に応えられていない。
そこにきて、タイのドラマがYouTubeで世界中に共有され、さらに視聴者の感想やオススメコメント、二次創作も含めて柔軟に共有の輪を広げているのは、これこそ今の時代に合ったエンタメの形だと実感せずにはいられません。
立ちはだかる資本主義の壁
ところが、この「共有欲」の時代の波を止めてしまう防波堤がいくつか姿を現しました。
一つは最近タイ沼のファンをことごとく悩ませている「ジオブロック」問題です。
これまではYouTubeの公式配信で見られたドラマが、日本の企業が配給権を買い取ったために、日本から視聴不可能にされてしまう「ジオブロック」。
買い取られたドラマはいつかどこかの日本企業によって配信や放送をされることになりますが、それらは大抵有料なうえ、NetflixやAmazonなどのサブスクですらないことが多く、新規ファンはなかなか手を出しにくいものになっています。
また、ジオブロックがかかるのは企業からの配信が始まるよりも数ヶ月早いことが多く、その間は、基本的には日本からの視聴方法がなくなってしまいます。
(参考)2getherの日本配給とYoutube配信停止について
有料でコンテンツを売りたい企業が無料で見られる手段を封じるのは、いかにも資本主義的理論に基づいた方法です。
それは、これまでの常識では商売の上で当然のこととされていたでしょう。しかし、物欲よりも共有欲が勢いを持つ時代において、その方法は、本当に効果を成すのでしょうか。
さらにもう一つ、最近立ち上がってきた問題は、YouTubeが「視聴者による字幕翻訳機能」を9月に終了すると発表したことです。
(参考)YouTube、視聴者による字幕翻訳機能を9月に終了 国内外で反発広がる
機能廃止の理由は「利用率の低さとスパム行為の多さ」と発表されています。
考えてみれば、翻訳依頼機能によって幅広い言語に翻訳されることを必要とするユーザーは、英語話者でない人や、聴覚障害のある人など。つまりグローバル企業から見たマイノリティです。膨大なYouTube動画の中のパーセンテージで見た利用率が低いのも、当然のことかもしれません。
こうした「低い数字」=マイノリティを切り捨てるのは、資本主義社会の企業体制としては、当たり前のことだったでしょう。
しかし、タイをはじめとするアジア各国のドラマ配信において、この機能が驚くほど有効活用されている状況を見ると、YouTube側の決断はあまりにも時代に逆行した姿勢に見えてしまいます。
こうして見ると、資本主義というものは、物欲の時代の産物だったように思えます。人々の心が共有欲に大きく傾いている時代に、資本主義経済は適応しないどころか、壁となって立ちはだかるものとなってしまうのです。
営利活動よりも強いファン活動
しかし、こうした壁の一つひとつにファンたちが驚くべき結束力と助け合いの精神で、対抗手段を見つけていく姿と行動力には、目を見張るものがあります。
ことカルチャーに関しては、営利目的の企業の行動よりも、ただ好きという気持ちだけで動くファンの行動の方が、圧倒的に勢いがあるのではないでしょうか。
この勢いを生かすよりも殺す方向に、各企業が動いてしまっている現状は、商業的にもいつか限界を迎えるように思えてなりません。
経済学的にも社会学的にも、現行の資本主義経済は破綻の一途にあるということが言われ始めた昨今。
企業も、私たち一人ひとりも、これまで信じられてきた資本主義的な市場原理が「物欲の時代」の遺物であることに気付き、新たな方向へ舵を切らなければならないのではないか。
タイのドラマ配信展開は、そのことを端的に示す一つの現象のように思えます。この現象がどこまで広がるかで、世界経済の危機にどう立ち向かえるかも、変わってくるのではないでしょうか。
さて、ここまでは主に経済の観点からタイのネット配信ドラマについて語りましたが、続く②では、タイBLドラマのストーリーやテーマにも触れ、現代社会の価値観のアップデートについて語りたいと思います。
素材出典:写真AC